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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)2813号 判決 1984年7月17日

控訴人(原告) アメリカン・ヘキストコーポレーシヨン

被控訴人(被告) 旭化成工業株式会社

原審 東京地方昭和四七年(ワ)第四二〇五号(昭和五四年一一月一六日判決)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

この判決に対する上告についての附加期間を九〇日と定める。

事実

第一当事者の求めた裁判

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金九億四七五〇万円及びこれに対する昭和五二年七月五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、なお、右金員の支払いを求める部分以外の訴えを、当審において取り下げた。

被控訴人は、主文第一、二項同旨の判決を求めた。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正、変更するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

一  原判決二枚目裏一〇行目ないし三枚目表一行目(編注、本書五〇七頁一〇行目)を次のとおり変更する。

1  控訴人は、昭和五五年九月一〇日存続期間の満了によつて消滅した次の特許権(以下「本件特許権」といい、その特許発明を「本件特許発明」という。)の特許権者であつた。

二  同七枚目表二行目(同上、五〇九頁一八行目)の「被告の使用している」を「後記の合併による解散前被控訴人であつた旭ダウ株式会社(以下「解散会社」という。)の使用していた」と、同七枚目表末行から同裏一行目(同上、五一〇頁二行目)及び同裏八行目から同九行目(同上、五一〇頁六行目)の各「被告の使用している」を「解散会社の使用していた」と、同裏一行目(同上、五一〇頁二行目)から同二行目(同上、五一〇頁三行目)の「訴外旭化成工業株式会社」、同裏二行目から同三行目(同上、五一〇頁三行目)の「同訴外会社」及び同裏九行目(同上、五一〇頁六行目)の「右旭化成工業株式会社」をいずれも「被控訴人」と、同八枚目表二行目(同上、五一〇頁八行目)、同七行目(同上、五一〇頁一一行目)、同一〇行目から同一一行目(同上、五一〇頁一二行目)、同裏三行目(同上、五一〇頁一四行目)及び同九行目(同上、五一〇頁一七行目)の各「被告」を「解散会社」と、同八枚目表四行目(同上、五一〇頁九行目)の「している。」を「していた。」と、同裏四行目から同五行目(同上、五一〇頁一五行目)の「義務がある。」を「義務があるところ、昭和五八年七月八日、被控訴人は解散会社を合併したので、被控訴人において右不当利得返還義務を承継した。」とそれぞれ訂正し、同八枚目裏九行目(同上、五一〇頁一七行目)の「したがつて」の次に「、被控訴人において」と付加し、同九枚目表四行目(同上、五一〇頁末行)の「本件特許権」から同八行目(同上、五一一頁一行目)の「廃棄並びに」までを削除する。

三  同一四枚目表三行目(同上、五一三頁七行目)、同一九枚目表三行目(同上、五一五頁一九行目)、同二一枚目裏一行目から同二行目(同上、五一七頁二行目)、同一〇行目から一一行目(同上、五一七頁六行目)、同二三枚目裏九行目(同上、五一八頁六行目)、同二四枚目表一行目から二行目(同上、五一八頁七行目)、同三行目(同上、五一八頁八行目)、同九行目(同上、五一八頁一〇行目及び一一行目)及び同裏三行目(同上、五一八頁一二行目及び一三行目)の各「被告の使用している」を「解散会社の使用していた」と、同一四枚目表六行目(同上、五一七頁八行目)の「被告」を「解散会社」と、同二四枚目表四行目(同上、五一八頁八行目)から同五行目(同上、五一八頁九行目)の「訴外旭化成工業株式会社」を「被控訴人」とそれぞれ訂正する。

四  同二九枚目裏七行目(同上、五二一頁二行目)の「被告方法において使用されている」並びに同三一枚目裏一〇行目から同一一行目(同上、五二二頁五行目)、同三二枚目表六行目から七行目(同上、五二二頁九行目)、同三三枚目裏一〇行目(同上、五二三頁五行目)、同三四枚目表一行目(同上、五二三頁七行目)、同一〇行目から一一行目(同上、五二三頁一一行目)及び同裏三行目から同四行目(同上、五二三頁一三行目)の各「被告の使用している」をいずれも「解散会社の使用していた」と、同三二枚目表一行目(同上、五二二頁六行目)の「被告」を「解散会社」とそれぞれ訂正する。

五  控訴人の補足した主張

特定のポリブタジエンをとらえてこれを分析する場合、分析法を特定しないと結果が異なるという理由が成立するためには次の前提が必要である。

(イ)  分析法が異なれば結果は必ず異なり、その異なり方は分析法によつて一定の相違が現れ、これを矯正する手段がない。

(ロ)  特定の分析法を使用する限り結果は必ず同じである。したがつて、客観的数値はともかく前後の同定は可能である。

しかし、本件訴訟においては第一に分析法の相違で必ず一定の差が出るということは立証されていない。

被控訴人は、いわゆる吸光係数決定法と文献値吸光係数借用法の二つに赤外法を大別することができるという。しかし借用法については、巻尺、三角法等で距離を測る正統な方法に対して、人が歩数でおよその距離を測ることや、目測で測ることもあるからそれも測定法の一つに入るというのと同じことであり、確かにそれは存在するけれども、正確な分析法として二つに大別されるうちの一つというような種類のものではない。そしてしかもこの場合、被控訴人の主張は特定人の歩幅によらず、ある人の歩幅とそれと別の人の歩数だけを掛合わせて一〇〇歩は一〇〇メートルというがごときのもので、到底正当な意味での測定法とはいえないのである。

さらにNMRはすでに本件特許出願当時存在したのであり、又これをポリマーの分析に用いたことも知られている。そのためたとえNMRを使つて分析した報告が文献になかつたとしても、これを単独又は赤外法と併用して用いることが可能であることは当時すでにわかつていたことである。いずれにしてもこのビニル含量の問題は現在における事実確認の問題であり、いかなる手段を用いようと最も正確な手段により確認することが正しい態度であつて、これを排斥するのは根本的に誤つている。

解散会社の使用していたポリブタジエンを分析するについては事実確認の問題として信頼できる方法を用いればよいのであり、それは本件特許出願当時の分析法に限られるものではない。このことは他の技術的な問題でも事実が問題になり、ある物資の状態、組成その他が問題になつた場合、分析や学識経験者の鑑定を得る場合にその学識経験者は最新の知識を駆使してその事実を確定するのと同じであり、かような事実の確定は過去の時における分析法に限定される理由は見当らないのである。

被控訴人は同一の吸光係数を用いることをもつて同一の方法としている。これは全く科学常識に反する見解である。そして被控訴人はリチヤードソン、サイラス、ビンダー、ハンプトン及びモレロによつて報告された分析は異なつた分析方法であるとしている。これらは、本件特許出願前のポリブタジエンの分析に関する主要な文献発表である。しかしこれらは基本的に同一の標準的赤外方法である。操作上の及び計算上の技法においていくらかの異なつた点はあるけれども、すべてこれらは最初に吸光係数を決定するために使用される分光器を最初に検定し、そして分析を行つたという点においてすべて基本的に同一なのであり、操作技法においていくらか異なつた点があつてももし誤差を適当に補正するならば原則的には結果は同一になるはずなのである。

これに対して例えばモレロの文献に報告されている分析方法、すなわち標準的赤外方法と、被控訴人のいわゆる「モレロ法」(すなわち、モレロの文献に報告されている吸光係数を借用することによる分析)とは全く異なつたものである。

控訴人はこれら借用法をもつて科学的な分析方法とは考えていないものである。

特定の波長における吸光係数はその特定の分光器においてのみ当てはまるものである。現在モレロの手法を行うことはできても、モレロが二〇年以前に行つたと全く同一の条件の下に分析を行うことはできない。特に同一の分光器を用いることはできない。

六  被控訴人の補足した主張

(一)  本件特許の出願当時の明細書(乙第七号証)によれば、出願人は、シス約八〇%、トランス八%、及びビニル五%の高シス1・4ポリブタジエンを用いた場合、GR―S(スチレン、ブタジエン共重合体)を用いた場合に比較してポリスチレンの耐衝撃性の改良効果が高いことを実験的に見出し、この事実を唯一の実験的基礎として明細書を作り上げたものである(したがつて(シス二五~九五%、トランス〇・五~七〇%、一~一〇ビニルという記載は(単なるスペキユレーシヨンである)。

元来ゴムの存在下においてスチレンを重合し、耐衝撃性の改良されたポリスチレンを製造することは公知であり(乙第一号証)、かかるゴムとしてポリブタジエンを使用し得ることも公知であつた(乙第一号証)が、シス成分を二三%以上含むポリブタジエンは、リチウム系触媒によるポリブタジエンや(例えば一九五九年八月六日公表の乙第一〇号証添付A)、チーグラー触媒によるポリブタジエン(例えば一九五七年四月一七日公表の乙第二八号証)が発表される迄は何人も入手不能であり、当然、この種のポリブタジエンを用いてその耐衝撃性改良効果を確認する者は存在しなかつた。しかし、いつたん、かかるポリブタジエンが発表されると、これを用いての耐衝撃改良効果を試してみることはポリスチレン業界の当業者一般が当然行うことであつた。

本件特許の先願であるシエルの出願(乙第三一号証の一)、及びデイストレエンの出願(乙第三二号証の一)はその例である。

本件特許は、甲第三号証にみられるように、乙第七号証の明細書につき、あるいは実施例四を追加し、あるいはクレームを減縮(シスを九〇%以下と限定しかつビニルも一〇%以下と限定)するなどの補正を加えて、これら先願の網をくぐり抜けて成立したものである。したがつて、一〇%以下というビニル含量の限定は「臨界的」(出願人の意見書中の用語、乙第一七号証)な意義を有する重要な限定である。

ところが、控訴人は、事実の問題としてこの限定がいかなる分析法によつて見出した数値であるかについて何ら主張していない。本件特許に対応する英国特許第一〇〇二九〇一号明細書(乙第八号証)によれば「標準的な赤外法によつて決定することができる」というのであるが、更に具体的にどのような手順で分析して得た数値であるかについては、主張がないのである。

これは、奇怪なことといわなければならない。最初の明細書に具体的に記載された唯一のポリブタジエンが「シス約八〇%、トランス八%、及びビニル五%」であると判定した根拠、並びに後に追加された実施例四のフアイヤーストン製のジエン35NFが「七・八%のビニル含有量と三五・九%のシス含有量とを有する」と判定した根拠がない筈はないのであつて、事実の問題として、そのような判定がどのようにしてなされたかは当然主張し得る筋合であるからである。にもかかわらず、その主張がないということは、事実が明らかになると、クレームの数値は分析法に無関係の、客観的に正しい数値を意味するという控訴人の主張と予盾することになることを示しているといわざるを得ない。

(二)  ポリブタジエンの分析法の如何によつてその分析値が相違することは、本件特許出願時の技術常識であり、ハンプトン、リチヤードソン、ビンダー、サイラス、モレロと次々と新しい分析法が研究された経過自体がこの事実を示している。

控訴人は、モレロの吸光係数を使用する分析法は本件特許出願当時の標準的な方法とはいえないとし本件特許出願当時ポリブタジエンの微細構造の分析については吸光係数決定法が標準的方法であつたと主張する。

しかし、吸光係数の文献値を使用する分析法が一般の分析法であつた事実は、新しい構造のポリブタジエンの代表的発明の全てがその発明のポリブタジエンの同定のための吸光係数を明細書中に記載している事実から明らかである(乙第一〇号証添付A、乙第二八号証、乙第二九号証)。吸光係数決定が普通であつたのであれば、そしてそれがどのようにやつても同一の分析値を与えることが常識であつたのであれば、発明者は単に数値を示すだけで足りたのであるが、発明者はポリブタジエンの技術分野にはそのような常識は存在せず、文献値の吸光係数を使用するのが一般であると認識していたからこそ、吸光係数を記載したのである。

第三証拠関係<省略>

理由

一  控訴人が、昭和五五年九月一〇日存続期間の満了によつて消滅した本件特許権の特許権者であつたこと、本件特許の願書に添附した明細書の特許請求の範囲の欄の記載が控訴人主張のとおりであること、解散会社の製造・販売していた耐衝撃性ポリスチレンの製造方法が、使用するポリブタジエンのシス及びビニルの各含有量の点を除き、原判決添付別紙目録記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

二  右当事者間に争いのない明細書の特許請求の範囲の欄の記載によれば、本件特許発明は、そのモノビニル芳香族重合体組成物の製造に用いる1、4ポリブタジエンのビニル含有量が一〇%以下であることを要件の一つとするものであると認められる。

三  控訴人は、右特許請求の範囲の欄に記載されている一〇%以下のビニル含有量という場合の一〇%とは、一〇分の一という割合を示す概念であつて、他に何らの基準、尺度も必要としない数値、すなわち客観的事実を意味し、1、4ポリブタジエンの特定のビニル定量分析法と関係づけて限定した数値ではなく、いかなる定量分析法であつても、それが客観的に正確な結果をもたらすものでありさえすれば、当該定量分析法は本件特許出願当時に用いられていたかどうかを問わず、ビニル含有量の確認を行うために用いることができる旨主張する。

一〇%とは、原告が主張するように、一〇分の一という割合を示す概念であることはいうまでもない。しかし、一〇分の一という量を計る客観的な基準、つまり何人がこれを計つてもその結果が同一になるというような計測の基準及びその基準に従つて計測する方法が一定していなければ、一〇分の一という割合を計るにしても、果してそれが客観的に一〇分の一の割合になつているかどうかということは保証されず、原告が主張するように、ある定量分析法が客観的に正確な結果をもたらすものであるかどうかも確知され得ない。これを長さに例をとつていえば、一メートルという長さを確定するためには、メートル原器あるいは特定の光の波長という客観的に確定した一定の基準を用いて始めてこれを計り得るのであり、尺、メートル、フイート等長さの単位はいずれでもよいが、ある長さを計るにはそれを計り得る客観的な基準がなければならず、そのような基準なしに長さを計るというようなことはおよそ無意味である。

控訴人は、NMR法(核磁気共鳴スペクトル法)によればポリブタジエンのビニル含有量を客観的に正確な値をもつて計り得ることを前提として、NMRはすでに本件特許出願当時存在しており、これをポリマーの分析に用いることも知られていたところ、解散会社が製造・販売していた耐衝撃性ポリスチレンの製造に用いるポリブタジエンのビニル含有量はNMRで計つても一〇%以下である旨主張する。

成立について争いのない甲第五三号証(ロバート・R・ハンプトンの宣誓供述書)には、NMRは本件特許出願(昭和三五年)前に知られており、これをポリブタジエンのビニル含有量を決定するのに用いられ得ることは当業者に自明であつた旨が記載されていることが認められる。しかし、成立について争いのない甲第二九号証の一ないし四、第三〇号証の一、二によれば本件特許出願前にNMRを用いて特定の有機化合物の微細構造の分析を行なうことは知られていたものと認められるがポリブタジエンのビニル含有量を測定するのにNMRが使用されていたことを認めるに足る立証は前掲甲第五三号証を含めても未だなされていない。原審証人渡辺禎三の証言によれば、NMRによりポリブタジエンのシス、トランス、ビニルの微細構造が分析できるようになつたのは、本件特許出願後である昭和三七年(一九六二年)頃のことであると認められる。そして、NMR法が現在においては比較的正確な分析値を出し得るものであると言えるにしても、その方法によつて測定した量が客観的にも正確なものであると必らずしも言えないことは、おのおのNMR法で計つたと各自が主張する、解散会社で使用していたポリブタジエンのビニル含有量が八・七%ないし九・四%(成立について争いのない甲第七、第一一、第一七号証)、一一・一%(成立について争いのない乙第一六号証)となつていることからも明らかであるということができる。

以上のとおり本件特許出願前NMR法はポリブタジエン中のビニル含有量を測定する方法としては行なわれておらず、証拠によれば、当時行なわれていた測定方法はいわゆる赤外法であつた。すなわち、成立について争いのない甲第二三ないし第二七号証、乙第二〇号証、証人渡辺禎三の証言によりその成立を認め得る乙第二一号証の一、原審証人渡辺禎三、同池田達也の各証言を綜合すると、次のような事実を認めることができる。いわゆる赤外法によるポリブタジエンの微細構造の決定は、まず標準物質について赤外分光器を用いてシス、トランス及びビニル単位の特定の吸収帯における吸光係数を決定し、次に試験試料のポリブタジエンについて右特定の吸収帯における吸収の強さを測定し、前記吸光係数を用いてシス、トランス及びビニル単位の含有量を算出するものであるところ、吸光係数を決定するのに既にハンプトン、リチヤードソン、ビンダー、サイラス、モレロ等が用いた方法が発表されていたが、前三者の用いた方法は標準物質として低分子オレフインを用いたものであり、又サイラスが用いた方法は、標準物質としてポリブタジエンを用いるものではあるが、いずれもそれらの方法によつて決定された吸光係数は信頼性があまり高いものとはみなされていなかつた。一九五九年に至つてモレロが発表した方法は、標準物質として純度の高い各構造のポリブタジエンを用いて吸光係数を算出したものであり、その吸光係数は信用度が高いものと評価されるようになつた。しかしながら、モレロの用いた方法によつて吸光係数を決定するにしても、標準物質として用いるポリブタジエンの不飽和度をいかなる方法で求めるかによつて分析結果は異なつてくるのであつた。すなわち、不飽和度を塩化沃素を反応させて実験的に求めるにしても、その方法は不確定要素が多くその不飽和度は必らずしも正確なものではないとされ、不飽和度を一〇〇%と設定して吸光係数を求めることも行なわれていたが、この方法の不自然さを攻撃する考え方ももちろんあつた。いずれにしても不飽和度の求め方の相違により分析結果も異なつてくるものであつた。そして、前記モレロの論文が発表されてからは、モレロが決定した吸光係数そのものを借用してポリブタジエンのシス、トランス、ビニル成分含有量を決定する方法(いわゆる吸光係数借用法)を推奨するような論文が本件特許出願後のことではあるが、多く現われるようになつてきた。右のような事実が認められる。一方前掲証拠に、成立について争いのない甲第一三号証、第一四号証の一、二、第二二号証の一ないし三、第三二号証の一ないし四、第四三号証の一、二、第四四号証の一、二、第四六号証の一、二を綜合すると、吸光係数を借用して成分決定をすることは誤差が多く、実験者が自分で吸光係数を求めないで他人の吸光係数を借用することは誤りであるとする考えも少なくなかつたこと、吸光係数は使用する機器の差や手法の相違により差異が出て来るものであることを認めることができる。

右のように認めることができる。

ところで、本件特許の明細書の特許請求の範囲中における1、4ポリブタジエンの中に含まれるビニル含有量の一〇%以下という一〇%がいかなる方法によつて計量された一〇%であるかについては、特許請求の範囲においてはもちろん発明の詳細な説明中にも、これを示唆するものは何も見当らない。右に見てきたようにビニル含有量が一〇%であることを客観的に確定する方法は、本件特許発明の出願当時見当らなかつたのであるから、いかなる測定方法に従つて測定した一〇%であるということすら記載されてない本件特許発明においては一〇%という割合を決めるに由なく、その点において既にこれを実施することが不可能であつたものといわざるを得ず、本件特許権が権利として成立しているとの理由をもつて、本件特許権に基づいて他人にその権利を侵害することの差止め及び侵害を理由とする損害賠償の請求をすることはできないものといわなければならない。

本件特許発明においては、出願人はすべからく成立について争いのない乙第二八号証(ベルギー特許第五五一八五一号明細書)、第二九号証(英国特許第八七三〇四六号明細書)におけるごとく、赤外法におけるポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの、自分で計つた吸光係数を記載して、ビニル成分の一〇%とはこれによる一〇%として一〇%の基準を明らかにすべきものであつた(なお、測定機器の特定及び測定方法を記載することも必要であろう。)。

控訴人は、本件特許出願前のポリブタジエンの分析に関する主要な文献を発表したリチヤードソン、サイラス、ビンダー、ハンプトン、モレロらの採つた方法は基本的に同一の標準的赤外方法であり、操作上の及び計算上の技法においていくらかの異なつた点はあるけれども、もし誤差を適当に補正するならば原則的にそれらの結果は同一になるはずであると主張するが、控訴人のこの主張は、疑いを容れないほどに真実の値を測定することが既に知られていて、前記の人らの採つた方法による結果がそれに基づいて修正され得るものであることを前提としたものであるところ、そのように客観的真実な値を測定する方法が現在に至るもなお確定されていないこと前記のとおりである以上控訴人のこの主張は採るを得ない。

四  右のとおりであつて、控訴人の被控訴人に対する請求は、解散会社が耐衝撃性ポリスチレンの製造に使用していたポリブタジエンのビニル含有量が一〇%以下であつたかどうかを確定することを要せずして、理由がないことが明らかであり、控訴人の請求を棄却した原判決は結局において正当であり、控訴人の控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用は敗訴の当事者である控訴人の負担とし、上告についての附加期間を九〇日と定めるのを適当と認めて主文のとおり判決する。

(裁判官 高林克巳 杉山伸顕 八田秀夫)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 原告

1 被告は、別紙目録記載の方法を使用して、耐衝撃性ポリスチレンを製造してはならない。

2 被告は、前項の方法によつて得られた耐衝撃性ポリスチレンを使用し、販売してはならない。

3 被告は、その占有する、第1項の方法によつて得られた耐衝撃性ポリスチレンを廃棄せよ。

4 被告は原告に対し、金九億四、七五〇円及びこれに対する昭和五二年七月五日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

5 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行宣言。

二 被告

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

一 請求の原因

1 原告は、次の特許権(以下、「本件特許権」といい、その特許発明を「本件特許発明」という。)の特許権者である。

発明の名称 ビニル芳香族重合体組成物の製造方法

出願日   昭和三五年九月一〇日

出願番号  特願昭三五―三七五五五号

公告日   昭和四一年九月一二日

登録日   昭和四四年一月二〇日

登録番号  第五三六一六九号

2 本件特許発明の訂正公告された特許請求の範囲(以下、「本件特許請求の範囲」という。)の欄の記載は、次のとおりである。

「モノビニル芳香族単量体を全重合体重量を基にして1乃至20%の1、4ポリブタジエンの存在下で重合することにより高められた耐衝撃性を有するモノビニル芳香族重合体組成物を製造する方法に於て、前記1、4ポリブタジエンが少くとも25%の而も90%以下のシス含有量と10%以下のビニル含有量とを有することを特徴とする高められた耐衝撃性を有するモノビニル芳香族重合体組成物の製造方法。」

3 本件特許請求の範囲の記載を分説すると、次のとおりである。

A モノビニル芳香族単量体を全量合体重量を基にして一ないし二〇%の1、4ポリブタジエンの存在下で重合すること。

B 右1、4ポリブタジエンが少なくとも二五%のしかも九〇%以下のシス含有量と一〇%以下のビニル含有量を有するものであること。

C 高められた耐衝撃性を有するモノビニル芳香族重合体組成物の製造方法であること。

4 前記1、4ポリブタジエンの微細構造(化学構造)ポリブタジエンは、ブタジエンを重合することによつて得られる重合体である。

その微細構造は、通常―CH2―CH=CH―CH2―(I)という単位(以下、「単位(I)」と略称する。)と、

―CH2―CH―

C―H

CH2

(II)という単位(以下、「単位(II)」と略称する。)とから成立つている。

そして、単位(I)を1、4構造、単位(II)を1、2構造という。

ところで単位(I)は更に、

H H H H

| | | |

―C―C―C―C―

|     |

H     H

(Ia)(以下、「(Ia)」と略称する。)と

H H   H

| |   |

―C―C―C―C―

|   | |

H   H H

(Ib)(以下、「(Ib)」と略称する。)の二種類の異性体に分けられ、(Ia)をシステム1、4構造(以下、単に「シス」という。)、(Ib)をトランス1、4構造(以下、単に「トランス」という。)という。また、単位(II)は、その構造中にビニル基(CH2=CH―)を有していることからビニル構造(以下、単に「ビニル」という。)ともいう。

そして、ポリブタジエンにおけるこれらシス、トランス及びビニルの微細構造成分の含有量をそれぞれシス含有量、トランス含有量、ビニル含有量といい、通常「%」で表わす。

しかして、本件特許発明に用いられるポリブタジエンは、右に述べたシス含有量が二五%以上九〇%以下で、ビニル含有量が一〇%以下のポリブタジエンである。

5 本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンのビニル含有量が一〇%以下であることの意味については、まず一〇%とは一〇分の一という割合を示す概念であつて、他に何らの基準、尺度も必要としない数値、すなわち客観的事実を意味する。そして他方本件特許発明の明細書には、この数値を特に別段の意味に解釈すべき旨の記載あるいはポリブタジエンのビニルの定量分析法のうちの特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法による一〇%である旨の記載はなく、また、一〇%という意味を別異に解釈すべき客観的事情、例えば本件特許出願当時の技術水準として一般的に用いられていたポリブタジエンの定量分析法によつて得られた一〇%という数値と現在確認されている数値とを比較した場合に相違する値が得られ、かつ、その相違が再現性をもつて系統的に現われ、測定の非系統的なばらつきによらないことというような事情はないから、本件特許請求の範囲の欄に記載の、「ビニル含有量が一〇%以下」とは、何らの基準、尺度も必要としない客観的事実を意味し、ポリブタジエンのビニルの含有量を測定するための特定のポリブタジエンのビニルの定量分析法と関係づけて限定した数値ではない。しかして、ポリブタジエンのビニルの定量分析法は、本件特許発明においては本件特許請求の範囲におけるビニル含有量を確定するためのいきさつあるいは確認手段ないし立証方法にすぎないのであつて、いかなるポリブタジエンのビニルの定量分析法であつても、それが客観的に正確な結果をもたらすものでありさえすれば、当該定量分析法は本件特許出願当時に用いられていたかどうかを問わず、右ビニル含有量の確認を行うために用いることができる。

6 被告の使用しているポリブタジエンのビニル含有量は、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析法である、赤外線吸収スペクトル分析法(以下、「赤外法」という。)及び最も信頼性の高い核磁気共鳴スペクトル法(以下、「NMR法」という。)による測定によつても、あるいは本件特許発明の明細書記載の実施例4の実験IIIに記載されているビニル含有量七・八%のフアイヤーストンコンパニー製ジエン35NFの名のポリブタジエンを標準見本とし、これを基準にして測定してみても、いずれも一〇%以下である。そしてこのことは、被告の使用しているポリブタジエンの製造元である訴外旭化成工業株式会社が右ポリブタジエンについて、及び同訴外会社へ右ポリブタジエンの製法に関して技術援助をしている訴外フアイヤーストン・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーが、右と同一の製法によるポリブタジエンについて、いずれもこれまで一貫してビニル含有量が一〇%以下であることを発表してきたこと並びに昭和五二年に刊行された一般の公刊物においても、被告の使用している右旭化成工業株式会社製のポリブタジエン及び右フアイヤー・ストン社製のそれについて、いずれもビニル含有量は一〇%以下であることが明らかにされていることからも裏付けられるのである。

7 被告は、別紙目録記載の方法を用いて(特にポリブタジエンのビニル含有量については前記6のとおり)耐衝撃性ポリスチレンを製造し、販売している。

8 別紙目録記載の方法は、本件特許発明の構成要件をことごとく充足するから、その技術的範囲に属する。

9 被告が、別紙目録記載の方法を使用して耐衝撃性ポリスチレンを製造販売する行為は、特許権者である原告の実施許諾を受けることなく、すなわち法律上の原因なくして業として本件特許発明を実施するものである。しかして、被告は原告に対し、相当の実施料を支払わず、その支払を免れているのであるから、少なくとも現に実施料相当額の利得を得、これにより原告は同額の損失を被つている。したがつて、被告は原告に対し、原告の損失において利得している実施料相当額を不当利得として返還すべき義務がある。しかして、原告は、本件特許発明について他の者に実施許諾をするにあたり、耐衝撃性ポリスチレンの販売高の〇・五%の実施料の支払を受けているから、本件において実施料相当額を算定する場合には右実施料率を下回ることなく、したがつて被告が右耐衝撃性ポリスチレンを製造販売したことによつて原告に支払うべき実施料相当額すなわち不当利得額は、昭和四三年から昭和五二年までの各年度の販売高(その各年に対応する販売高は別表のとおり)の総額金一、八九五億円に右実施料率〇・〇〇五を乗じた金九億四、七五〇万円である。

10 よつて原告は被告に対し、本件特許権に基づいて、別紙目録記載の方法による耐衝撃性ポリスチレンの製造並びに製造にかかる耐衝撃性ポリスチレンの使用及び販売の差止め、侵害行為により生じた耐衝撃性ポリスチレンの廃棄並びに右不当利得金九億四、七五〇万円及びこれに対する本件請求拡張の申立書送達の日の翌日である昭和五二年七月五日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 被告の答弁及び主張

1 答弁

(一) 請求の原因1ないし4の各事実は認める。

(二) 同5、6の各事実は争う。

(三) 同7の事実のうち、使用するポリブタジエンのシス及びビニルの各含有量は否認し、その余は認める。

(四) 同8、9は否認する。

2 主張

(一)(1) 本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンのビニル含有量についての数値は、本件特許出願当時公知であつたところのポリブタジエンのビニルの定量分析法に基づくものであつて、しかもそのなかでも当時において最も信頼できる方法あるいは標準的方法に基づく数値と解すべきである。すなわち、ポリブタジエンのビニルの定量分析法の相達によつてその定量分析結果は異なるから、本件特許出願当時の当業技術者が、本件特許発明を実施するにはポリブタジエンのなかから本件特許発明のビニル含有量一〇%以下という数値に該当するポリブタジエンを選択する必要があるが、そのためには本件特許発明の明細書で用いたポリブタジエンのビニルの定量分析法を知らなければならない。しかるに、本件特許発明の明細書にはポリブタジエンのビニルの定量分析法の記載がないから、本件特許出願当時の当業技術者は、本件特許発明のビニル含有量一〇%以下については右当時の最も信頼できる方法ないし標準的方法によつて定められたものと理解したであろうし、またそれ以外の理解はありえない。

(2) しかして、本件特許出願当時のポリブタジエンのビニルの定量分析法のうちで、最も信頼できる方法あるいは標準的方法は赤外法におけるモレロらの吸光係数借用法である。ここにおいてモレロらの吸光係数借用法とは、モレロ、サンタムプロジオ、ポルリ、チアムペルリ(以下、単に「モレロら」という。)がポルプタジエンのシス、トランス、ビニルの各含有量を測定するために、特定の赤外線分光器(パーキン・エルマー21型)を用いて標準物質により求めた吸光係数をそのまま用いて未知試料たるポリブタジエンのビニルの含有量を測定する分析手法をいう。

(イ) しかして、本件特許出願当時、当業技術者がポリブタジエンのシス、トランス、ビニルの各含有量を用いて測定する、いわゆる吸光係数借用法というのが、通常行われていた方法である。すなわち、当業技術者は、各自の分析機器を用いて未知試料たるポリブタジエンの赤外線吸収スペクトルを得て、これについて既存の吸光係数を用いてシス、トランス及びビニルの各含有量を測定することが常套手段となつていたのである。そしてこのことは、例えば英国特許第八一七六九三号明細書(乙第一〇号証添付証拠A)、ベルギー特許第五五一八五一号明細書(乙第二八号証)及び英国特許第八七三〇四六号明細書(乙第二九号証)において、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析法として赤外法が採用されているが、そこには標準物質は記載されずにそれぞれ特定の吸光係数が記載され、それを用いて測定するように指示していることからも明らかである。

(ロ) ところで、本件特許出願当時すでにハンプトン、ビンダー、リチヤードソン、サイラス、イエイツ及びソーントン並びにモレロらによつて、それぞれの研究に基づく吸光係数が発表されているが、このうちモレロらの発表した吸光係数は、ハンプトン、ビンダー、リチヤードソン、サイラス、イエイツ及びソーントンの各分析手法におけるそれに比較して標準物質としてシス、トランス及びビニルをそれぞれ高純度に含有する三種のポリブタジエン(ビニル及びトランスを少量しか含有しないハイシスポリブタジエン、一〇〇%のトランスポリブタジエン、痕跡程度のトランスしか含有しないハイビニルポリブタジエン)を用いて決定されているから、この吸光係数が吸光係数の最初の見積りが低分子オレフインに基づいているハンプトン、ビンダー、リチヤードソンのそれ及びモレロらより純度の低いポリブタジエンを用いているサイラス、イエイツ及びソーントンのそれに比べて優れていて、最も高い普遍性を有していることは何人にも明らかであり、モレロらの吸光係数は各種文献において最も優れているという評価を受けているのである。そして当業技術者のみならず、公的研究機関である工業技術院東京工業試験所は、モレロらの吸光係数についてのこの正当な評価を支持し、従来発表されていた既存の吸光係数のなかでもモレロらのそれが最も信頼できる数値であるとしてモレロらの吸光係数をそのまま用いるところの吸光係数借用法を採用しているのである。

(ハ) 以上によれば、本件特許出願当時最も信頼できる方法ないし標準的方法はモレロらの吸光係数をそのまま用いるところの吸光係数借用法(以下、「モレロらの吸光係数借用法」という。)である。

(3) 被告の使用しているポリブタジエンのビニル含有量は、モレロらの吸光係数借用法によると一〇%を超える。

よつて、この点において、すでに被告の製造販売にかかる耐衝撃性ポリスチレンの製造方法は、本件特許発明の技術的範囲に属しない。

(二) 原告は、本件特許請求の範囲の欄に記載のポリブタジエンのビニル含有量が一〇%以下というのは、客観的事実を意味し、特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法と関係づけて限定した数値ではないと主張するが、右主張は、以下に述べるとおり理由がない。

すなわち、

(1) 原告の右主張は、一〇%という概念の意味内容が客観的に定められた数値であることを根拠としているけれども、一〇%の概念自体が明瞭であるからといつて、そのことから直ちに本件特許請求の範囲の欄に記載のビニル含有量が一〇%以下であることの意味内容が明瞭になるものではなく、被告の主張するように特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法との関連においてはじめて明らかにできる性質の事柄である。

(2) 本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンのビニル含有量の数値は、産業界に対して具体的な物としてのポリブタジエンのうち所期の目的を達成するものを特定し、その範囲を確定するという機能を有しなければならないのであるが、原告の主張するようになんらのポリブタジエンのビニルの定量分析法も前提としない客観的事実そのものは、技術の世界とはかけ離れた単なるイデアとして存在しうるのみであつて、本件特許出願当時の当業技術者において知る由もなく、かつ、右に述べた機能を有しない。したがつて、本件特許請求の範囲の欄に記載のポリブタジエンのビニル含有量が一〇%以下という意味を客観的事実と解する原告の主張は明らかに誤つている。しかして、本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンのビニル含有量についての数値に前記機能をもたせるためには、右数値は何らかの具体的なポリブタジエンのビニルの定量分析法によつて得られたあるいは得られる数値であり、その定量分析法と不可分一体のものと解してはじめて可能である。もつとも原告は、NMR法を最も信頼できるポリブタジエンのビニルの定量分析法であると主張しているので、このことはNMR法によるポリブタジエンのビニル含有量についての定量分析結果をもつて客観的事実であるとするもののようであるが、NMR法は測定条件の選択に困難があつて、ある測定条件を設定した特定の定量分析結果が赤外法によるそれに比べて真実に近いとはいえないのであるが、この点を別としても、NMR法による定量分析結果は、原告の立場からいつても、せいぜい現時点における客観的事実に近い値としか評価しえないのであつて、NMR法によつて認識される事実とイデアとしての客観的事実とが一致している保証はどこにもないのである。

したがつて、NMR法による、ポリブタジエンのビニル含有量についての定量分析結果をもつて客観的事実とはいえない。

(3) また原告の主張に従うと、本件特許出願当時には本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンのビニル含有量についての数値に該当しないビニル含有量からなるポリブタジエンを、本件特許出願後あらたに開発されたポリブタジエンのビニルの定量分析法による、ポリブタジエンのビニル含有量についての数値の故をもつて、本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンに該当させることを可能にする。しかしこのような結論は、特許発明の技術的範囲の解釈として明らかに不当であるから、このことからいつても原告の前記主張が誤つていることは明らかである。

(4) 更に原告の主張は、本件特許出願当時におけるポリブタジエンのビニルの定量分析法に関する技術水準及び本件特許権の成立の経緯を無視するものである。すなわち、本件特許出願当時存在したポリブタジエンのビニルの定量分析法は赤外法のみであつて、それ以外のポリブタジエンのビニルの定量分析法は知られていなかつた。ところで原告は、本件特許請求の範囲の欄に記載されているビニル含有量が一〇%以下とは、客観的事実を意味し、特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法と関係づけて限定した数値ではないと主張していながら、本件において具体的に主張立証していることの主たる内容は、被告の使用しているポリブタジエンのビニル含有量がNMR法による定量分析結果によれば一〇%以下であるということである。これは究極的には本件特許請求の範囲の欄に記載のビニル含有量をNMR法に基づく数値であると主張すること以外の何物でもない。ところがポリブタジエンのビニルの定量分析法としてのNMR法は本件特許出願後に開発された新しい方法であつて、本件特許出願当時には行われていなかつたものである。したがつて、本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンのビニル含有量についての数値を本件特許出願後に開発されたNMR法に基づく数値であると解釈することは、本件特許出願当時のポリブタジエンのビニルの定量分析法に関する技術水準を無視することになつて許されないといわなければならない。もつともこの点について原告は、本件特許出願当時、NMR法によつてポリブタジエンのビニル含有量を測定することが可能であつた旨主張するけれども、本件においては、本件特許請求の範囲の欄の記載から明らかなように、ポリブタジエン中のビニル含有量だけでなく、シス含有量をも本件特許出願当時実施可能な、ポリブタジエンのビニル及びシスの定量分析法によつて確定しなければならないのであるが、本件特許出願当時、ポリブタジエンのシス含有量を測定することができないNMR法は、本件特許請求の範囲の欄に記載のポリブタジエンのビニル、シスの各含有量を測定する方法として用いることはできないというべきである。それ故NMR法に基づくポリブタジエンのビニルの定量分析結果は本件においては考慮すべきではない(因みに、被告の使用しているポリブタジエンのビニル含有量は、NMR法によつても一〇%を超える。)。

また、原告の主張は、本件特許権成立の経緯からいつても理由がない。つまり、本件特許出願当時、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析法である赤外法には、着目する波長及び吸収量から、シス、トランス及びビニルの各含有量を計算する際に用いる吸光係数の如何によつて種々の分析手法が発表されていたが、これらの分析手法に基づく定量分析結果はそれぞれ異なることが知られていた。そして、このように分析手法によつてその定量分析結果が異なるという実状の下で、しかもビニル含有量が八・九%から一六・五%に至るポリブタジエン(イタリア特許第五九二四七七号)あるいはビニル含有量が一〇・三%から一三・六%に至るポリブタジエン(英国特許第八一七六九三号)が公知であるという状況下において、ビニル含有量一〇%以下のものが効果があり、ビニル含有量一〇%を超えるものは効果がないとして本件特許発明の特許出願がなされたのである。しかして、出願人である原告は、出願手続中において、その引用特許発明に対する本件特許発明の相違としてビニル含有量を一〇%以下に限定した点を挙げ、これを強調しているのである。すなわち、数値的に近接した多数の公知のポリブタジエンの一群をビニル含有量が一〇%以下という基準で分断し、その一方を用いることを要件とし、他方を排斥したのが本件特許発明なのである。したがつて、右の多数の公知のポリブタジエンが、あるポリブタジエンのビニルの定量分析法によれば本件特許発明のポリブタジエンに該当し、他のポリブタジエンのビニルの定量分析法によれば該当しないという事態が生じることになる。その意味で、本件特許発明におけるビニル含有量が一〇%以下という意味が客観的事実をいうとしても、実際にはポリブタジエンのビニルの定量分析法の如何によつて、認識される事実は相違するのである。そうすると、右ビニル含有量が一〇%以下という意味を、特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法と関係づけて限定した数値ではないという原告の主張は、本件特許権の成立の経緯からも否定されるべきである。

(5) 原告は、モレロらの吸光係数借用法を含めていわゆる吸光係数借用法は、各分析者の使用する分析機器などによつて定量分析結果にかなりの巾広いばらつきが生じ、その定量分析結果は誤りが多くて信頼することができず、また吸光係数借用法によつて得られた定量分析結果と現実の客観的な正しい数値を比べた場合に、どの程度の誤差が生じたか正確には確認することができず再現性がなく、しかもこのことはこの種技術分野の技術者の技術常識となつていたから、本件において、吸光係数借用法を用いることは許されない旨主張する。しかしながら、原告の主張するような分析機器などの如何による誤差は通常の測定に伴う程度の誤差であり、現に被告の使用しているポリブタジエンについて、種々の分析機器によつて、モレロらの発表した吸光係数を用いて、測定した結果はほぼ同一である(乙第二ないし第四号証、第六号証、第一九号証)から、この点についての原告の主張は理由がない。

(6) 原告は、本件特許出願当時のポリブタジエンのビニルの定量分析法である赤外法のうちの、モレロらが行つたのと同一の分析手法によつて、被告の使用しているポリブタジエンのビニル含有量を測定した定量分析結果(甲第一五号証)によると、現在知られている客観的な事実に近い定量分析結果(九・四%)に極めて近似した数値(九・一%)が得られていると主張する。しかし、原告の主張する右分析手法は、吸光係数を求めるにあたり、NMR法を用いている点及び標準物質であるポリブタジエンの不飽和度を測定して求めている点においてモレロらの行つた分析手法と相違している。まず、吸光係数を求めるにあたつてNMR法を用いた点がモレロらの行つた分析手法と相違するというのは、標準物質であるポリブタジエンのビニル含有量をNMR法によつて求め、その結果に合致するようにビニルによる吸光係数を定め、これと辻褄の合うように順次他の吸光係数を求めているということである。ところが、NMR法を用いてポリブタジエンのビニル含有量を測定することは本件特許出願当時いまだ行われておらず、したがつて、このような方法による結果を基礎にして吸光係数を決定する方法は、実質的にはNMR法というべく、本件特許出願当時の技術水準とは全く無縁の方法である。

次に、標準物質であるポリブタジエンの不飽和度を測定して求めている点がモレロらの行つた分析手法と相違するというのは、右不飽和度につきモレロらが行つた分析手法では、理論値(一〇〇%)を用いているということである。ところで、本件特許出願当時だけでなくその後においても、標準物質であるポリブタジエンの不飽和度を測定して求めずに理論値(一〇〇%)を用いるのが常であつた。それは、ポリブタジエンの不飽和度を測定して求めるには信頼しうる方法がなく、かえつて理論値(一〇〇%)を採用した方が正確であるからである。したがつて、原告の主張する分析手法は、標準物質であるポリブタジエンの不飽和度について、単にモレロらの行つた分析手法を変更したというにとどまらず、その変更にあたつて、本件特許出願当時ポリブタジエンのビニル含有量を測定する際に通常用いられていない方法を採用している。

よつて、原告の主張する分析手法は、モレロらの行つた分析手法でないばかりでなく、本件特許出願当時未知の方法であつて、それに基づく定量分析結果は、本件において考慮されるべきでない。

(7) 原告は、被告の使用しているポリブタジエンと、遠い過去の訴外フアイヤーストン社のポリブタジエンとを同視し、右フアイヤーストン社の製法によるポリブタジエンについての発表などが被告の使用しているポリブタジエンに関連を有しているかの如く主張しているけれども、被告の使用しているポリブタジエンは、その製造元である訴外旭化成工業株式会社が右フアイヤーストン社からの導入技術に大変更を加えた製法によつて製造されたものである。そして、製造条件が相違すればポリブタジエン中のビニル含有量が異なることは、従来から明らかにされているから、被告の使用しているポリブタジエンは、遠い過去の訴外フアイヤーストン社のポリブタジエンとは明らかに別物である。したがつて、訴外フアイヤーストン社によつて製造されているポリブタジエンについていかなる発表がなされていようとも、被告の使用しているポリブタジエンには何らの意味も有しない。

三 被告の主張に対する原告の反論

1 被告は、ポリブタジエンのビニルの定量分析法の相違によつてその定量分析結果は異なる旨主張するけれども、請求の原因で述べたとおり、いかなるポリブタジエンのビニルの定量分析法であつても、それが適正に行われた場合には同じ定量分析結果になるはずである。しかして、本件特許出願当時から現在に至るまでポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析法として、赤外法とNMR法とがあるが、このうち赤外法においても各種の分析手法が行われているものの、その基本原理は同一であつて定量分析結果が分析手法によつて異なるものではない。これらの各分析手法を適正に行えば、いずれもその誤差は絶対値%でコンマ以下である。そして、誤差の大小は各分析手法の如何によつてではなく、個々の具体的分析にあたつて、その分析手法を統一的に矛盾なくしかも個々の可変要素を厳密に正確に把握して行うかどうか、個々の分析者の熟練度、注意力如何ということによつて大きく左右されるのである。また、NMR法と赤外法が、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を測定した定量分析結果において、異なつた数値を呈することを示唆する科学的証明はない。科学的見地からいえば、両方法をそれぞれの測定条件に従つて適正に行えば、その定量分析結果はほぼ一致するはずである。このことは科学文献においてしばしば暗黙の前提となつているのであつて、例えば乙第二四号証には「この方法(ゴラブ等の報告によるNMR法)はポリイソプレンゴム……の赤外線分析の検定法としては理想的方法である。」とされていることからも肯認されるのである。よつて、被告の前記主張は理由がない。更に、被告は前記主張を前提にして、ポリブタジエンのビニルの定量分析法を知らなければ、本件特許出願当時の当業技術者は、本件特許発明を実施できないという趣旨の主張をしているけれども、前記主張がすでに述べたように理由がないのであるから右主張はその前提を欠くばかりでなく、本件特許発明の明細書に従えば実施例に示されているとおりのものを用いればよいのであるから、ポリブタジエンのビニルの定量分析法を知らなければ本件特許発明を実施できないものではない。よつて、被告の右主張も理由がない。

したがつて、本件特許請求の範囲の欄に記載のポリブタジエンのビニル含有量が一〇%以下というのは、特定のポリブタジエンのビニルの定量分析法と関係づけて限定した数値ではない。

2 本件特許出願当時行われていた赤外法のうちで、モレロらの吸光係数借用法を含むいわゆる吸光係数借用法は、次の理由によつて本件特許出願当時の当業技術者によつて行われていなかつた。すなわち、<1>当業技術者は、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を測定するに際して、他人が発表した吸光係数を借用してポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を測定することはある。しかし、それは、含有量の確認がさほど重視されない場合に、いわゆる簡便法として用いられるにすぎず、本件のような、ポリブタジエンのビニル含有量について、その数パーセントの異同を問題にする場合には、分析機器にそれぞれ固有の特性があつて、どの分析機器にもあてはまる吸光係数はなく、各分析機器毎に吸光係数は異なるので、当業技術者は、その使用する分析機器及び測定条件に従つて個別に吸光係数を求めて、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を測定するいわゆる吸光係数決定法を用いることが、本件特許出願当時も現在も変らない赤外法の分野における技術常識である。そして現にモレロらに限らず、ハンプトン、ビンダー、リチヤードソン、サイラス、イエイツ及びソーントンの本件特許出願当時発表されていたポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を測定した報告においては、いずれも自から吸光係数を求めたうえでポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を測定している。更にこの点に関連して被告は、英国特許第八一七六九三号、ベルギー特許第五五一八五一号及び英国特許第八七三〇四六号の各明細書には、それぞれ特定の吸光係数が記載され、それを用いて測定するように指示しているから、当業技術者は各自の分析機器を用いて未知試料たるポリブタジエンの赤外線吸収スペクトルを得て、これについて既存の吸光係数を用いてそのシス、トランス及びビニルの各含有量を測定する、いわゆる吸光係数借用法が常套手段となつていた旨主張するけれども、右各明細書記載の吸光係数は、明細書の作成者がそれぞれ自から標準物質を用いて求めた吸光係数であつて、測定が正当な手続を履んでなされた裏付けとして示されているのであり、しかも明細書の作成者は当業技術者に対して、右の各吸光係数を用いるべきであると述べているわけではないのである。<2>モレロらの吸光係数借用法を含めていわゆる吸光係数借用法は、各分析者の使用する分析機器などによつて定量分析結果にかなりの巾広いばらつきが生じ、実際には数一〇%、場合によつては五〇%も異なることがあつて再現性が悪く、その定量分析結果は誤りが多くて信頼することができず、また吸光係数借用法によつて得られた定量分析結果と現実の客観的な正しい数値と比べた場合に、どの程度の誤差が生じたか正確には確認することができず、しかもこれらのことはこの種技術分野の技術者の技術常識となつている。したがつて、例えばポリブタジエンのビニル含有量が現実には七%ないし八%であるのに、モレロらの吸光係数借用法では一二%ないし一三%という誤つた定量分析結果になつても不思議ではないのである。よつて、この点からも本件において吸光係数借用法を用いることは許されない。

3 モレロらの吸光係数借用法は、本件特許出願当時のポリブタジエンのビニルの定量分析法のうちで、最も信頼できる方法でも、また標準的方法でもない。すなわち、赤外法のうちでハンプトン、ビンダー、リチヤードソン、サイラス、イエイツ及びソーントン及びモレロらによつてそれぞれの分析手法が報告されているが、その中でモレロらの分析手法が一般的であつたということはなく、また最も優れているという評価もされていない。このことは、被告方法において使用されているポリブタジエンの製法について技術援助している訴外フアイヤーストン・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーがビンダーの分析手法を採用していることからも明らかであろう。

しかして、モレロらの分析手法が一般的で最優秀であるとする根拠を探究すると、本件特許出願後の昭和三九年に、モレロらの分析手法を日本に紹介した者が広めたところの、誤解に発した見解に依拠しているものであつて、本件特許出願当時には少なくともそのような誤解は存在しなかつたから、モレロらの分析手法が一般的で最も優れているなどということは、誤解としてであれ、全く存在しなかつたのである。ところで、被告は、公的研究機関である工業技術院東京工業試験所がモレロらの吸光係数を最も信頼できる数値であるとして、モレロらの吸光係数借用法を採用している旨主張するけれども、正確な定量分析結果が要求される本件のような場合には、同所においても、自から吸光係数を求めたうえで、ポリブタジエンのビニル含有量を測定する方法を採用しているから、同試験所がモレロらの吸光係数を最も信頼できる数値であると認めているということはない。更に、被告は、モレロらの発表した吸光係数は、ハンプトン、ビンダー、リチヤードソン、サイラス、イエイツ及びソーントンのそれに比較して優れていて最も高い普遍性を有していると主張し、その根拠として、吸光係数を決定するについて、モレロらは、シス、トランス及びビニルをそれぞれ高純度に含有する三種のポリブタジエンを標準物質として用いているのに対し、ハンプトン、ビンダー、リチヤードソンは吸光係数の最初の見積りは低分子オレフインに基づいている点をあげている。しかし、標準物質の組成や九個の吸光係数を決定する反復法においては、最後の値が重要であつて、最初の見積りは反復手続の出発点にすぎず、その反復により収れん値に近づくものである限り、最初の見積りは重要ではない。そして、最初の見積りが悪い場合には、最終の収れん値に到達するために何回も反復をしなければならないが、反対の場合には、反復の回数が少なくてすむというにすぎない。したがつてモレロらが、高純度のシス、トランス及びビニルの各ポリブタジエンを標準物質として用いたことは、計算を容易にする有利性として考えられるが、吸光係数の正確な測定を行うための決定的要因ではない。よつて、標準物質の組成によつてその吸光係数の優劣が決定されるわけではないから、被告の主張は理由がない。

4 以上1ないし3に述べたことから明らかなとおり、モレロらの吸光係数借用法は、本件特許出願当時の当業技術者によつて行われてはいなかつた方法であり、もし一部で行われていたとしても、最も信頼できる方法あるいは標準的方法とは到底いえないから、モレロらの吸光係数借用法を根拠に、同方法によれば、被告の使用しているポリブタジエンのビニル含有量は一〇%を超えるから、被告の製造販売にかかる耐衝撃性ポリスチレンの製造方法はこの点において本件特許発明の技術的範囲に属しないとする被告の主張は失当である。

5 被告は、原告が本件特許出願当時のポリブタジエンのビニルの定量分析法として用いられていた赤外法のうちで、モレロらが行つたのと同一の分析手法によつて被告の使用しているポリブタジエンの微細構造成分の含有量の測定を行つたことに関し、右分析手法は、吸光係数の求め方についてモレロらの行つた分析手法と相違している旨主張する。しかしながら、まず標準物質であるポリブタジエンのビニル含有量をNMR法によつて求めた点については、右の点以外はすべて赤外法によつているのであつて、しかもこの標準物質たるポリブタジエンの組成決定を、後に赤外線吸収スペクトルにより求めた結果によると、その誤差は〇・一%ないし〇・二%の範囲にすぎず、いずれにしても結果は殆んど一致している。したがつて、本件特許出願当時の当業技術者が赤外法のみによつたとしても同様の結果を得たはずであるから、被告のこの点に関する主張は理由がない。次に、標準物質であるポリブタジエンの不飽和度を測定して求めている点については、ポリブタジエンの不飽和度が決して理論値どおり一〇〇%でないことは本件特許出願前から知られており、またポリブタジエンの不飽和度の測定法として一塩化沃素法も明らかにされており、現に一般的に広く行われていたのであるから、ポリブタジエンの不飽和度を測定して求めたことはモレロらの行つた分析手法の正しい適用であるというべきである。

6 被告は、本件特許出願当時、ポリブタジエンのビニルの定量分析法としてのNMR法は行われていなかつた旨主張する。しかしながら、本件特許出願当時すでにNMR法が存在していて、これによつて各種ポリマーの定量分析が行われていたのであるから、ポリブタジエンが他のポリマーと特にその定量分析法を異にしなければならない理由がない以上、ポリブタジエンのビニルの定量分析法としてNMR法を用いることは可能であつた。そして、たとえ本件特許出願当時のNMR法による定量分析技術ではポリブタジエンのシスとトランスのピークが分離せず、その総量としてしか測定できなかつたとしても、ビニル含有量の測定は可能であつたから、ポリブタジエンのビニル含有量が争点となつている本件においては、NMR法をポリブタジエンのビニルの定量分析法として用いることは可能であつたというべきである。そして被告の使用しているポリブタジエンのビニル含有量は、NMR法によると一〇%以下である。

7 被告は、被告の使用しているポリブタジエンの製法が訴外フアイヤーストン社のポリブタジエンの製法に大変更を加えたものであるにもかかわらず、原告は右両ポリブタジエンを同一視するような主張をしていると論難するけれども、製法の変更は方法についての技術面に関するものであつて、化学面に関するものではないから、いずれの製法によつて得られたポリブタジエンであつても、ビニル等の微細構造成分の含有量に実質的な変更をもたらすものではない。そして、このことは、昭和五二年に刊行された一般の公刊物においても、被告の使用しているポリブタジエンと訴外フアイヤーストン社製のポリブタジエンは、いずれもビニル含有量が一〇%以下であることが公表されており、また甲第七ないし第九号証の実験に供されているポリブタジエンは、被告の使用しているポリブタジエン及び訴外フアイヤーストン社製のそれであることからも、裏付けられるのである。よつて、被告の前記論難はあたらない。

第三証拠関係<省略>

理由

一 原告が本件特許権の特許権者であること、本件特許請求の範囲の欄の記載が原告主張のとおりであること、被告の製造販売にかかる耐衝撃性ポリスチレンの製造方法が、使用するポリブタジエンのシス及びビニルの各含有量を除き、別紙目録記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

二 右当事者間に争いのない本件特許請求の範囲の欄の記載及び成立に争いのない甲第二、第三号証の記載によれば、本件特許発明の構成要件は次のとおりであることが認められる。

A モノビニル芳香族単量体を全重合体重量を基にして一%ないし二〇%のポリブタジエンの存在下で重合すること。

B 右ポリブタジエンは少なくとも二五%のしかも九〇%以下のシス含有量と一〇%以下のビニル含有量を有すること。

C 高められた耐衝撃性を有するモノビニル芳香族重合体組成物の製造方法であること。

三 そこで、被告の製造販売にかかる耐衝撃性ポリスチレンの製造方法において、これに使用されているポリブタジエンのビニル含有量が、原告主張のとおり、一〇%以下であるかどうかについて判断する。

1 ところで、本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンのビニル含有量が一〇%以下であることの意味につき、原告は、右記載は客観的事実を意味するのであつて、特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法と関係づけて限定した数値ではない旨主張するのに対し、被告は、右記載は本件特許出願当時の最も信頼できる方法あるいは標準的方法に基づく数値である旨主張するので、まずこの点について検討する。

前記認定のとおり、本件特許発明ではポリブタジエンのビニル含有量が数値で示されており、してみれば、数値自体の意味するところは明瞭であるから、一〇%以下のビニル含有量をもつポリブタジエンを、一〇%を超えるビニル含有量をもつポリブタジエンと概念的に区別するためには、なるほど、原告が指摘するとおり、何らの基準、尺度も必要としないし、また、前顕甲第二、第三号証によれば、本件特許発明の明細書には、本件特許請求の範囲の欄に記載されているビニル含有量が一〇%以下という数値が、ある特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法に基づく数値である旨の記載あるいはポリブタジエンのビニル(シス、トランスについても同様)の定量分析法についての記載は存しないことが認められるから、これらのことに徴すれば、本件特許請求の範囲の欄記載の、ビニル含有量が一〇%以下というのは、客観的事実を指称し、特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法と関係づけて限定した数値ではないかのようにみえる。しかしながら、一〇%以下のビニル含有量をもつポリブタジエンを、一〇%を超えるビニル含有量をもつポリブタジエンと概念的に区別し、特定するために何らの基準、尺度も必要としないということから、直ちに、前記「ビニル含有量が一〇%以下」の意味を、ある特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法とは無関係と速断することはできない。けだし、本件特許発明のポリブタジエンのビニル含有量が数値で示されていて、数値自体の意味するところが明瞭であつても、このビニル含有量は、ある特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法によつて測定しなければ、数値として把握することができないのであるから、本件特許請求の範囲の欄記載の、ビニル含有量が一〇%以下というのは、ある特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法に基づく数値と解してはじめて成立つからである。もつとも、ポリブタジエンのビニルの定量分析法が相違しても、その定量分析結果が相違するものと認められない場合は、いずれの方法でも同じであることになるから、ポリブタジエンのビニルの定量分析法は、単に、ポリブタジエンのビニル含有量を確認する手段にすぎないことになり、したがって、ポリブタジエンのビニルの定量分析法として、ある特定の方法のものには限定されないと解する余地がないではない。しかし、以下に説示するとおり、現実には、ポリブタジエンのビニルの定量分析法が相違することによつて、その定量分析結果が異なるのであるから、本件特許請求の範囲の欄記載の、ビニル含有量が一〇%以下というのは、ある特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法に基づく数値と解するのを相当とする。すなわち、成立に争いがない甲第一七、第二三ないし第二七号証、乙第八、第一〇号証、第一三号証の一ないし五、第一八、第二〇、第二六、第二九号証、第三八号証の一、二、第四四号証の一ないし三、証人渡辺禎三の証言により真正に成立したものと認められる乙第二一号証の一、本件口頭弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四〇号証、証人渡辺禎三、同池田達哉の各証言に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一) ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析法には、現在、大別してNMR法と赤外法との二種類の方法があるが、NMR法と赤外法はその基本原理が相違していること、被告の製造販売にかかる耐衝撃性ポリスチレンに用いられているポリブタジエンのビニル含有量は、例えばNMR法によると八・七%(甲第一七号証)であるのに対し、赤外法によると一一・四%(乙第四〇号証)であること。

(二) 赤外法の概要は、次のとおりであること。

(1) 基本原理

(イ) ポリブタジエンに赤外線を照射するとポリブタジエン中のシス、トランス及びビニルはそれぞれ特定波長の光を吸収する。この、光を吸収する部分を「吸収帯」あるいは「キーバンド」という。

(ロ) 吸収帯において吸収される赤外光の強さは、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルのそれぞれの含有量に光路路離を乗じたものと比例する。この比例関係はランベルトーベール(Lambert-Beer)の法則の示すところである。

(ハ) ランベルトーベールの法則は次の方程式で表わされる。

D=log I0/I=kct

(式中、Dは吸光度。I0は光路距離tのセルに溶媒のみを入れたときの透過光の強さ。Iは同じセルにシス、トランス及びビニルのいずれかの成分含有量Cのポリブタジエンの溶液を入れたときの透過光の強さ。kは吸光係数を示す。)ところで、ポリブタジエンにあつては、赤外線吸収スペクトルの特定の吸収帯における光吸収の強さは、特定の微細構造成分(例えばビニル)のみによるのではなく、その特定の微細構造成分(ビニル)を主とし、他の二つの微細構造成分(シス、トランス)が加わつたものと考えられるので、次の三元連立方程式が導かれる。

D1=

1

1

c1+k

1

2

c2+k

1

3

c3

D2=

2

1

c1+k

2

2

c2+k

2

3

c3

D3=

3

1

c1+k

3

2

c2+k

3

3

c3

(式中、D1、D2、D3は、それぞれシス、トランス及びビニルの各吸収帯における吸光度。kは吸光係数で、シス、トランス及びビニルの各吸収帯(上添字の1、2、3)の位置におけるシス、トランス及びビニル(下添字の1、2、3)の吸光係数。C1、C2、C3はそれぞれシス、トランス及びビニルの各含有量。そしてtはセルの光路距離を示す。)以上から明らかなように、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量は通常九個の吸光係数を用いて算出される。

(2) 赤外法における吸光係数決定法についても、その分析手法に相違があつて、すなわち、標準物質が低分子化合物かポリブタジエンかという種類の違い、また標準物質としてポリブタジエンを用いた場合にも、その純度の高低、吸収帯の選定、不飽和度として測定値を用いるか理論値一〇〇%を用いるかなどにより、吸光係数が異なり、それによつて未知試料たるポリブタジエンの定量分析結果が異なる。

(3) 英国特許第八七三〇四六号明細書(1、4シス構造を有する結晶性ブタジエン重合体及びその製造方法)中に「我々は、赤外分析法には多くの方法があり、それらが異なる結果をもたらすこと、したがってポリマー中に存在する1、4シス、1、4トランス、1、2各構造の割合を比較する場合、特定の赤外線分析法を採用するよう考慮する必要があると認識している。このため我々は、本願明細書及びそれに基づく特許請求の範囲の中で記載されている、これら各構造の割合を確定する際に我々が採用した方法を記述したものである。」と記載されている。

以上の事実が認められ、乙第二四号証、第三七号証の一ないし三の各記載はいまだ右認定を左右するに足りず、また右認定に反する甲第四三号証の一、二、第四四号証、第四六ないし第四八号証の各一、二の各記載は前掲各証拠に照らしてにわかに採用し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定事実を総合すれば、赤外法にあつても、標準物質の選定、吸収帯の選択などスペクトルの定量的取扱いの手法が相違すれば、その定量分析結果が異なることは明らかであり、またNMR法と赤外法とではその基本原理が異なつていて、現に被告の製造販売にかかる耐衝撃性ポリスチレンに使用されているポリブタジエンのビニル含有量は、前記認定のとおり、NMR法によると八・七%であるのに対し、赤外法によると一一・四%であつて、これらの数字は、それぞれの方法におけるいわゆる誤差なるものを考慮に入れても、かなり相違していると解されるから、ポリブタジエンのビニル含有量の定量分析結果は、単に方法の適用の厳密性や取扱い上の熟練度などに基づく相違だけでなく、より根本的に、ポリブタジエンのビニルの定量分析法の違いによつて異なるものと断ぜざるをえない。

かように、ポリブタジエンのビニルの定量分析法が相違するとその定量分析結果が異なるのであるから、本件特許請求の範囲の欄に記載されているポリブタジエンのビニル含有量についての数値は、必然的に、ある特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法と関係づけられた数値と解さざるをえない。けだし、そう解さなければ、本件特許発明を実施するために用いうるポリブタジエンの異同を判定し、同定することができないからである。もつとも前掲甲第二号証によれば、本件特許発明の明細書には、本件特許発明を実施するために使用できるポリブタジエンが、実施例中に製品名を付して例示されていることが認められるが、もとより本件特許発明を実施するために使用しうるポリブタジエンは右実施例の製品に限定されないのであるから、右事実は何ら前記判断を左右するものではない。

2 以上のとおりであるから、本件特許請求の範囲の欄記載の、ビニル含有量が一〇%以下というのは、ある特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法に基づく数値と解するのが相当であるところ、その特定の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法というのは、本件特許出願当時において当業技術者が容易に実施することのできる普通に用いる方法と解すべきである。けだし、本件特許出願当時におけるポリブタジエンのビニルの定量分析法に関する技術水準なるものが、一般に当業技術者として普通に用いる技術手段であると解するのが相当であり、かつ、特許発明が産業上実施可能な技術を開示するものであることを考えれば、右のように解することが、合理的であるからである。

3 そこで、次に本件特許出願当時において、当業技術者が容易に実施することのできる普通に用いる方法とはいかなる方法であるかについて検討する。

(一) 第一項に確定した事実に、前掲甲第二四ないし第二七号証、乙第八、第一〇号証、第一三号証の一ないし五、第一八、第二〇、第二一号証の一、第二六号証、第三八号証の一、二、第四四号証の一ないし三、原本の存在及び成立に争いがない甲第一号証、成立に争いがない乙第三七、第四一、第四二号証の各一ないし三、第四三号証の一ないし四、第四五号証の一ないし三、証人渡辺禎三の証言を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 本件特許発明は、昭和三五年(一九六〇年)九月一〇日に特許出願されたものであるが、右特許出願当時において、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析法として赤外法があつたこと。

(2) 本件特許発明と同一の発明が英国において特許出願されたが、その明細書(英国特許第一〇〇二九〇一号明細書)に「ポリマーのシス、トランス、ビニル含量は標準的な赤外法によつて決定することができる。」と明記されていること。

(3) 本件特許出願当時、すでに、ハンプトン、ビンダー、リチヤードソン、サイラス、イエイツ及びソーントン並びにモレロらにおいて、それぞれ標準物質によりポリブタジエンのシス、トランス及びビニルに特有の吸収帯を選定するとともにその吸収帯における吸光係数を決定し、その吸光係数を用いて種々のポリブタジエンについてシス、トランス及びビニルの各含有量を測定したことを記載した文献が公表されていたこと。

(4) 本件特許出願の前後を通じてこれらハンブトン、ビンダー、リチヤードソン、サイラス、イエイツ及びソーントン並びにモレロらの文献に記載されている吸光係数を借用するところの吸光係数借用法によつて、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量の測定が行われていたこと。

(5) モレロらが発表した前記文献には、前記ハンプトン、ビンダー及びリチヤードソンの分析手法に対して「ポリブタジエンのモノマー単位の諸形態を決定するものとして文献上知られている諸方法は、それらの著者らが分析対象とする吸収帯の選択及び吸光係数の計算のために適当なモデル、すなわち最近得られたような異なつた型の不飽和結合のそれぞれを非常に高含量で有するポリブタジエン類のようなものを利用することができなかつたという事実の故に、充分に精密なものとは見られなかつた」と記載され、またサイラス、イエイツ及びソーントンの分析手法に対して「最近になつて、R・Sサイラス、J・イエイツ及びV・ソーントン(7)は、吸光係数の計算のためにたいへん高含量の1、4トランス、1、2及び1、4シス単位を有するポリブタジエン類を用い、かつ、1、4シス単位を決定するためには一二・〇から一五・七五ミクロンの範囲に及ぶ吸収帯についてのある実験式を用いる方法を発表した。しかしこの最後の方法は、後に詳しく見るような、一二・〇から一五・七五ミクロンの間の領域においては、1、4シス単位とは異なる他の吸収帯が入り込んでくるという事実を考慮に入れていない。」と記載されていること。

(6) 他方モレロらの分析手法について、本件特許出願後間もなく発表されたところの、赤外法によるポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析を紹介した文献中に、例えば「……代表的な分析方法のkey bandと吸光係数を示すが、各方法によりかなり異なつた吸光係数を使用していることがわかる。これらの方法の中で、標準物質として純度の高い各種異性構造のポリブタジエンを用いている点でMoreroの方法が最もすぐれていると考えられる。」と記載され、そのうえで、モレロらがその文献中において発表したところの吸光係数をそのまま用いて直接ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を求める計算式が記載され、しかもその後に公表された文献中においても、右と同様の各記載がなされていること。

以上の事実が認められ、右認定を覆えずに足る証拠はない。

(二) 右認定事実を総合すれば、本件特許出願当時の、ポリブタジエンのビニルの定量分析法は赤外法であつて、これを大別すると、ポリブタジエンのビニルの定量分析法としての吸光係数決定法と文献に記載されている吸光係数を借用するところの、吸光係数借用法とがあつたことが明らかである。そこで、本件特許出願当時の当業技術者が容易に実施することのできる、普通に用いるポリブタジエンのビニルの定量分析法とは、右のうちのいずれの方法であるかを考察するに、証人渡辺禎三の証言、本件口頭弁論の全趣旨によれば、右の吸光係数決定法を用いる場合には標準物質としてシス、トランス及びビニルをそれぞれ高純度に含有しているポリブタジエンを三種必要とするところ、本件特許出願当時そのようなポリブタジエンを入手することは困難であつたこと、またそのようなポリブタジエンを入手できたとしてもこれらのポリブタジエンを用いて吸光係数(九個)を算出するには複雑な思考と手順を履まなければならないことが認められ(右認定を覆えずに足る証拠はない。)、これらの事実と、特許発明は科学的真実の追求にあるものではなく、産業上実施可能な技術を開示するものであるから、当業技術者に対し、ポリブタジエンの、ビニルの含有量の測定についての学術上の専門家であることまでは要求されているものではないと解されることに鑑みれば、本件特許出願当時の当業技術者にとつて、ポリブタジエンのビニルの定量分析法としての吸光係数決定法は、到底容易に実施できる方法とは認め難いのに対し、前記認定のとおり、本件特許出願当時、すでにハンプトン、ビンダー、リチヤードソン、サイラス、イエイツ及びソーントン並びにモレロらによつて、それぞれの文献中において吸光係数が公表されていたから、これらの文献中に記載されている吸光係数を借用するところの、ポリブタジエンのビニルの定量分析法としての吸光係数借用法は、本件特許出願当時の当業技術者にとつて容易に実施できる方法であると認められる。

しかして、前記認定にかかる(一)(5)、(6)の事実によれば、ハンプトン、ビンダー、リチヤードソンが文献に発表した分析手法に関し、吸光係数を決定するために用いる標準物質の種類の点で、またサイラス、イエイツ及びソーントンのそれに関し、ポリブタジエンの吸収帯の位置の点で、それぞれ欠点が指摘されているのに対して、本件特許出願後間もなくしてモレロらの分析手法は最も優れた方法であるとされ、かつ、モレロらが発表したところの吸光係数をそのまま用いて直接ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を求める計算式が文献において公表されるという方法で、モレロらの吸光係数を借用するところの、吸光係数借用法がポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析法として推奨されているのであるから、本件特許出願当時の当業技術者においても、ポリブタジエンのビニルの定量分析法として、まずいわゆるモレロらの吸光係数借用法を採用するものと解するのが最も合理的である。してみると、モレロらの吸光係数借用法が、本件特許出願当時の当業技術者において普通に用いる方法であるといわざるをえない。

(三) 以上のとおりであるから、本件特許出願当時において、当業技術者が容易に実施することのできる普通に用いる方法とは、モレロらの吸光係数借用法にほかならないのである。

もつとも、甲第一三、第一四、第二二号証の二、第二三号証、第三二号証の一ないし四、第四三号証の一、二、第四四号証、第四六ないし第四八号証の各一、二には、モレロらの吸光係数借用法を含めて、いわゆる吸光係数借用法は各分析者の使用する分析機器などによつて定量分析結果にかなりの巾広いばらつきが生じ、実際には数一〇%、場合によつては五〇%も異なることがあつて再現性が悪く、その定量分析結果は誤りが多くて信頼することができず、また吸光係数借用法によつて得られた定量分析結果と現実の客観的な正しい数値と比べた場合に、どの程度の誤差が生じたか正確には確認することができず、しかもこれらのことはこの種技術分野の技術者の技術常識になつている旨の原告の主張に添う記載があるけれども、本件特許出願当時標準物質に値する高純度のポリブタジエンの入手が困難であり、また吸光係数(九個)を算出するためには複雑な思考と手順を履まなければならないから、当業技術者に対して吸光係数決定法を採用すべきことを求めるのは、当業技術者にポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量の測定についての学術上の専門家であることを要求するものであるといつても過言でないところ(なお、乙第一〇号証添付証拠A、第二八、第二九号証に記載されている、ポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの定量分析法が吸光係数決定法を採用したものであるとは、右各証拠の記載全体に照らしても、断定し離いところである。)、本件特許出願当時の当業技術者にはそのような専門家であることまでは要求されていないこと前記説示のとおりであり、しかも本件特許出願の前後を通じて赤外法の基本原理ないし分析手法に特段の変更が認められないにもかかわらず、前記認定のとおり、本件特許出願後においてもモレロらの吸光係数を借用すべきことが文献において推奨されていたのであり、また、成立に争いがない乙第二、第三号証の一、証人渡辺禎三の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一九号証によれば、モレロらの吸光係数借用法によつて被告の製造販売にかかる耐衝撃性ポリブタジエンに用いられるポリブタジエンのビニル含有量を測定した結果は、分析機器である赤外線分光器「島津IR―二七C型」では一三・九%、同じく「島津IR―二七G型」では一三・九%、同じく「パーキン・エルマー五二一型」では一四・四%であつて(ただしこれらの値はいずれも配分計算した数値である。)、分析機器が異なつてもその定量分析結果はほぼ一致していることが認められ(右認定を覆えすに足る証拠はない。)、これらのことからいつて、前掲各証拠の記載は前記判断を左右するものではないというべきである。もつとも原告は、「当業技術者はポリブタジエンのシス、トランス及びビニルの各含有量を測定するに際して、吸光係数借用法を用いることはあるけれども、それは含有量の確認がさほど重視されない場合にいわゆる簡便法として用いられるにすぎず、本件のようなポリブタジエンのビニル含有量について、その数パーセントの異同を問題にする場合には、吸光係数決定法によるべきであるということが本件特許出願当時も現在も変らない赤外法の分野における技術常識である」旨主張するが、右主張に添う甲第四三号証の二の記載はにわかに採用し難く、また証人渡辺禎三の証言中には右主張に添うかのような供述部分があるけれども、証言全体からするならば、ポリブタジエンのビニル含有量についての数パーセントの異同が産業上の実施という見地から問題となる場合にまでポリブタジエンのビニルの定量分析法としての吸光係数決定法によるべきであるとの供述とは認め難く、他に右主張を認めるに足る的確な証拠はない。よつて原告の主張は採用することができない。

ところで、原告は、更に、本件特許出願当時すでにNMR法が存在していて、これによつて各種ポリマーの定量分析が行われていたのであるから、ポリブタジエンが他のポリマーと特にその定量分析法を異にしなければならない理由がない以上、ポリブタジエンのビニルの定量分析法としてNMR法を用いることは可能であつた旨主張するが、前掲乙第二〇号証、第二一号証の一、証人渡辺禎三の証言を総合すれば、本件特許出願当時、NMR法においてポリブタジエンのシスとトランスの分離定量はできなかつたことが認められ、したがつて右当時NMR法によつてポリブタジエンのシス含有量を測定することは不可能であつたことは明らかである。ところで、本件特許発明はポリブタジエンのビニル含有量とともにシス含有量もその構成要件としているから、シス含有量を測定しえないNMR法は、少なくとも本件特許発明に関する限り、用いることはできなかつたものといわなければならないから、原告の主張は、結局、採用することができない。

4 被告の製造販売にかかる耐衝撃性ポリスチレンの製造方法に用いられているポリブタジエンのビニル含有量が、モレロらの吸光係数借用法によると一〇%以下であると認めるに足る証拠はなく、したがつて、この点においてすでに、被告がその製造販売にかかる耐衝撃性ポリスチレンの製造方法として別紙目録記載の方法を用いているとは認められないといわなければならない。

四 してみると、原告の被告に対する本訴各請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

目  録

シス含有量が三〇%ないし四五%、ビニル含有量が一〇%以下のポリブタジエンを、全重合体重量の二%ないし一二%存在させ、その存在下にスチレンを重合して耐衝撃性ポリスチレンを製造する方法。

別  表

年別

(昭和)

43

44

45

46

47

48

49

50

51

52

販売高

(単位、億円)

112

112

112

118

114

134

278

302

318

295

1,895

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